令和を迎えた初めての夏は、実に消耗が激しく、疲労困憊
ようやく最近、生活のリズムが戻ってきたところです。
ぎん坊、一般就労が実現して2年目に入った途端、
就労先から「解雇」の危機を伝えられました。
その問題が片付く間もなく、覆いかぶさるように見舞われた
マサコさん(主人の母)の屋内転倒~入院~退院~施設入所。
高齢者福祉に直面、様々な病院や施設の手続きに追われまくり、何が何やら
普段の倍速の行動に焦りとほころびが出ていたのでしょう。
2週間の間に2回も切符を切られるという失態
~ぎん坊の件~
就労後に利用し始めた福祉サービス「就労定着支援」
(去年から国が施行した支援サービスで、だいたい元訓練所と契約することが多い)では、
職員が毎月、雇用先を訪問して雇用側の困り事を聞き出したり
本人の障害の特性を伝えて雇用が定着するように仲介してくれます。
サービス提供のA職員からは、本人の仕事に対する意識の持ち方にまだ未熟さがあることや
現場で受ける注意は聞いていたものの、許容範囲内のものと理解していました。
A職員もしかり。
が
7月に入っていきなり雇用先の職員から、訪ねていたA職員が呼び止められ、
そのまま本人を交えての面談になり、
本人が繰り返す問題行動にリーダー全員
(グループ単位の清掃業務で、一つのグループに一人の指導リーダーが着く)が
さじを投げている、このまま本人に改善が見られなければ雇用継続できない、
と告げられたそうです。
A職員から「青天の霹靂です。」と、驚きながら伝えて来られました。
でも…こんなに重大な話なのに親は蚊帳の外?という雇用先への不信感、
いったい職場では本人はどんな態度なん?という怒りが交錯し、
親としての気持ちをどこへ持っていったらいいのやら、と迷走しました。
その後すぐ、元訓練所での親子面談、
地元で何かあった時に駆け込む相談支援センターの所長に直々相談、
そしてこの2ヶ所の職員と所長と私とで面談、
最終はA職員のお膳立ての元、雇用先と私との話し合い、を経て
本人の意識改革に全力で取り組んだ甲斐あって「解雇」の危機はなんとか脱しました。
ダウン症の「コミュニケーション障害」「低い伝達能力」であるがために
本人からは職場の話が殆ど聞けないので、
就労以降の無遅刻無欠勤、が何よりの親の安心のバロメーターでした
でももう本人の「がんばってますよ―ッ!」の言葉には騙されまい
まだまだ目を光らせておかないと。
~マサコさんの件~
年に一度開催するピアノ発表会を無事終え、
ふぅっと肩の荷を降ろした所にズシッとのしかかってきたのは「介護問題」。
マサコさん、御年90歳。
7年くらい前から室内外で頻繫に転倒することが増え、
隔週で訪ねるようになりました。その頃は一緒に買物に出かけ、
慣れたスーパーでは ‟自分の庭” とばかりにスタスタ歩く姿がありました。
が、2年前の部屋での転倒では予後が今までと違い、強い痛みとの闘いが長く続き、
病院へ連れていったところ、背中に圧迫骨折が見つかりました。
それ以来マサコさんは全く外出不能となり、ひきこもり生活が始まりました
生活介助や2週間分の買物を続け支援してはいたものの
鬱に陥っていくメンタルは崩壊一直線
会えば身体不自由の不安やひきこもりからくるストレスを
ぶつけてくるマサコさんにホトホト困り果て
このままでは自身がまいってしまう危機感を感じ
ケアマネージャー(O子さん)と繋がり、本人に介護認定を受けてもらい、
訪問ヘルパー導入を強行しました。
マサコさん「家の中◯千歩歩いた!」と万歩計片手に運動した気でいますが、
自己流で気まぐれにする ‟運動” に過ぎず、確実に‟サルコペニアロード”をたどっていました。
なんとか外の空気や人と交わってリハビリをしっかり受け、前向きに生きてほしいと願い、
O子さんからもデイサービスの提案を頂き、いくつもパンフレットをもらい、何度も話をしました。
が、デイサービスの悪いイメージがあるのか(老いを認めたくない?)
なかなか受け入れてくれません。
「では、訪問型のリハビリはどうですか。」とO子さん。
埒が明かないので主人(長男)にバトンタッチして説得してもらったところ、
マサコさんは家へ来てくれるなら、とようやく受け入れてくれました。
でも訪問リハビリを受けるには、一度受診してドクターに同意書をお願いするステップが要ります。
2年ぶりにおそるおそる本人を外へ連れ出し徒歩3分の医院へ。
ところが、段差やガタガタ道など不安定な道の具合に、
想像以上に歩行能力の落ちていたマサコさんはビックリ!その退行ぶりに私もビックリ
無事受診を終え、リハビリの事業所を決めて…と進むはずだったのが…。
今回の最悪な事態に
週1回の訪問ヘルパーさんの日。
自身の携帯にヘルパーさんから
「玄関ベルを鳴らしても、ノックしても、電話しても全く応答がありません」との一報。
マサコさん宅へは車で1時間。急行しました。
先に連絡を受けて玄関前で待ってくれていたのはO子さん。本当に心強かった
入って目にしたのはマサコさんの凄惨な姿。
詳しくは控えますが、たぶん衰弱が進んでいたところに熱中症となって
徐々に意識が薄れていったのでしょう、完全に気を失っていました。
その様子は今もトラウマとなっています。
O子さんの声かけには僅かな反応あり、
O子さんの素早い行動と的確な指示ですぐさま救急搬送、入院となりました。
マサコさんは脱水症状と意識混濁はあるものの、内臓は元気。
90歳にして初めての入院を看護師に驚かれながら3週間後には退院。
但し、もう一人では暮らせないことは本人も自覚したようです。
入院中にもO子さんに助けて頂き、
私たちの住まいの近くの老人保健施設へ入所させてもらえました。感謝
入所間もなく、環境の変化もあって「せん妄」という症状(幻覚、被害妄想などの意識障害)が表れ、
身体不自由な中、無意識に大きく動いてベッドから転落
後日、大腿骨骨折が判明
普通なら直ちに手術なのですが、
90歳の体に全身麻酔をするリスク、術後の回復がそう望めないこと、体力的な負担、などを
医療側から強く説かれ、主人の苦渋の決断の元、手術はしない方向に。
今は、体のあちこちの痛みを嘆きながら、認知症の入口を行ったり来たりしながら
面会の家族をマサコワールドに引き込み、笑わせてくれてます。